倭(ヤマト)の国の人について。

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辞書を引くと「委」という漢字は
「ゆだねる」「まかせる」「したがう」という
意味合いを見ることができる。

そこに人偏をつけて「倭」という漢字が出来上がる。





そもそも「倭」と呼ばれた民は
中国の河北省や朝鮮半島あたりにも群がって住んでおり,
日本列島だけに住み着いていたものではないという。
古くは中国の書「山海経」あたりで様々な地域に
その名を見ることができる。



「倭」という字に対する
反日的な話をしているのではない。

ワだろうがヤマトだろうがシズだろうが
呼び名の意味でもなく

また、そんな政治的歴史の
見解がどうとかではなく
字が表す民族的性質の話をしている。



ともかく、


太古から我々の先祖は
生死を問わず、頼んだ(たのうだ)人に忠義を尽くし
従順かつ勇敢に戦ってきた。

頼まれた人物はその民に対し、
土地の安寧を約束し、大和(大きな和の心)をもって
政事をおこなおうとした。







時折、



歴史は空海や信長、または坂本龍馬のような
「倭」という旋律から弦が弾け切れたギターの音のように
想像もしない異音を生み出すことがある。





すると「倭」という潜在的な心的装置は
自分たちの想像を大きく超えて特化したモノに対してのみ
見せるその受容性の高さと生真面目さで己をゆだね、
忠勤に励む作用を見せる。





その事象は、
いわゆる「どんぐりの背比べ」から頭ひとつどころか、
天を仰ぐように遥か高みにまで登ったモノにのみ見せる
特性ではあるが、
逆を言えば、
この「出る杭は打たれる」的な
風土も「倭」という心的装置の持つ
通過儀礼なのかもしれない。




為政者の徳が云々よりも
ひとたび大きく方向を示す
大義があれば源頼朝の鎌倉幕府や明治維新の時の
地を覆うような共振作用のように
「倭」の民は世界的にも類を見ない
奇跡的歴史を何度も綴ってきた。


今、為政者の遅蒔きに過ぎる自分勝手な大義ではなく
小さな民の心が少しづつ集まって本当の大義を紡いでる。



古来「倭人」は自分を「頼のうだ人」によく従い、
忠勤に励み、行儀良く命令を守り、生死を問わず働くし、
今でも、会社に対する日本人に多く見られる挙動だ。





だが、



ひと度「頼んだ人」がそれにそぐわず、
その性質を利用し、悪用する大悪であると判断した時、
承久の乱とは言わないまでも、
下克上すらも起こり得る力を内在しているのは
歴史が明らかにしている。



杞憂である・・・




しかし、こうした、僕の憂鬱が杞憂であればいいと
心から願うし、それよりももっと。





ひとかたまりになり
「倭」の音色が復興という大義の中で大きく、
そして美しく高らかに奏でられ続けることが
もっとも大切な事なのだと思う。






僕は仲間に自分の身をゆだね
仲間は僕にその身をゆだねてくれる。



これこそが
最上級の相互依存でなくてなんであろうか
と自負している。





最近どうも、
ずっとテレビの向こうで
「俺が俺が・・あなたがあなたが」と
依存と責任のなすりつけあいをしている人達を見ていて
なんともやるせない気持ちになってしまいました。







少し乱暴な記事になったかもしれませんが
おゆるしくださいね。

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