佐佐木流
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佐佐木流

漫画論、国際交流、思い出、それにくだらない話からオカルトまで、様々な「気づき」を綴っていきます
ダブルスタンダードとキムチ



「ダブルスタンダード」・・・


意味的にざっくりと言えば
「二重基準」平たく言えば「二枚舌」「ご都合主義」
といったところでしょうか。


「俺はいいけどお前は駄目!」

「俺のモノは俺のモノ!のび太のモノは俺のモノ」
といったジャイアン君がよく使うアレですねw

たいていこのセリフの後に「トンでも」な
不公平極まる暴論、屁理屈が並べられます。

まさに前時代もいい所のアレですなw








実は佐佐木自身もかなり我儘な性格ですから
このあたりは気をつけねばといつも思います。
(冗談でジャイアンキャラを演じまくる時もありますが、あくまで冗談です)
                   ↑
  これもダブルスタンダードの一種です(笑)








しかし、冗談はさておき。




このダブルスタンダードを
冗談ではなく、まさしく本気で自分の言葉の矛盾にすら気づかず
それを一般論として厚顔無恥にも
むりくり屁理屈を捲し立てるタイプがいます。
(そもそも、その一般論そのものが不毛な論旨なんですがwww)

理詰めで説得しても
「それはそれ、これはこれ」とまさに
「二重基準」を並べて、自分自身の
矛盾にまったく気がつけないタイプ・・・


簡単にいうと
昔のマンガによく出てきそうな
チンピラヤクザのようなキャラクターでしょうか。




こういうタイプが
会社の社長だの政治家だの
ましてや国家の代表等の影響力をともなわせて
このダブルスタンダードをやりだすと、
やられた方は本当にたまったものじゃありません。


しかも、恐ろしいことに
本人は頭がいいと思い込んでるのか
どうなのかは知りませんが
話の矛盾そのものを自分の「ご都合主義」に
置き換えてはまさにゴリ押しで
話を自分の都合のいいように強権的に持って行ったりします。


勿論中には
そんなダブルスタンダードの矛盾など
あえてわかっていながら
平気な顔をして恥も臆面もなくなく
「ご都合主義を」通す輩もいますねぇ。







こういう厄介な人格やお国柄ってのは
たいがい、嫌われてつま弾き者になるんですが
どうなんでしょうねぇ。











自分から誘っておいて
誠意(お金)を持ってこないなら
来なくていいなんて暴論。
















とりあえず佐佐木はもう二度と
キムチは食べないと心に決めた
今日この頃でした。













佐佐木けっこう
怒ってます。










佐佐木あつし





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台風ですにゃ・・・


皆様、帰りの電車は動いてるでしょうか?

佐佐木の住む街に通る
東西線はやたら雨や風に弱くすぐ止まってしまいます。

本日はADコミックと佐佐木の呼ぶ
広告漫画の打ち合わせに午後一で出かけ
その後は、今後のデジタル漫画のハード的な表現の打ち合わせに行き
会議も結構、充実した内容で意気揚々と台風君が来る前に
地元に帰ってきました。


今の時期は梅子黄(うめのみきばむ)と申しまして
梅雨入りと同時に梅の実が薄黄色く色づきます。

梅雨とは梅の実が熟すころの雨という意味なんですにゃ^^






そんな梅雨ですが

佐佐木的引き籠り術として
必要な3大グッズがコレ



写真 12-06-19 19 48 39


DVD.まあ、これは
梅雨に限ったわけじゃありませんが
基本いつも数本のレンタルDVDが事務所にはあります。

最近仕事の関係で
見なきゃいけなくなった佐佐木の大嫌いな
ゾンビモノとかも入ってたりして
少しげんなりですorz









で、次はこれ、ゲーム


写真
(大三元やったった!!)w

意外と麻雀ゲームなんかは
雨音を聞きながらポン・チー・ロンとやっていると
落ち着きます。


まあ、勝ってればの話ですが・・・w


















で最後はこれ。


















佐佐木的夏の必需品。






























写真 12-06-19 1 16 47





これさえあれば
ムシムシ、湿度の高い日でも安心。
体がゾンビっぽくなるまで塗りたくりますw





後は
美味しいお酒と料理
楽しい仲間との会話さえあれば


台風の夜などヘイチャラなのです。











佐佐木でした。


明日はエデンの星後編を公開するよん、お楽しみに^^








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まず、今日を逃すと
また更新がズルリズルリと伸びてしまう・・・

という事で
ご無沙汰しております。

佐佐木でございます。



実は49年前の本日
私めがこの世に生を授かった日でございまして。
気が付けば信長公が亡くなったのと同じ年にまで
なってしまいました。

人生50年とうたわれた時代では
もはや人格などは完成してねばならない年齢なのに
佐佐木はと言いますと中身は
まだまだ、ガキンチョのまんまで
相変わらずチャラチャラと無様な生き様を晒しております。


人間約半世紀も生きていれば
いろいろあります。


佐佐木にもふと過去を振り返ると
自分で言うのもなんですが
本当に漫画に出てくるような
人生を歩んで来た気がします。


一般の人に話しても
ほとんど信じてもらえませんが
かなり面白い人生だと
自分で思います。


そんな佐佐木の人生は
一部漫画を入れつつ
小説形式で作成していたりして
いつか僕があの世へ旅立つとき
自動で公開できるように
段取りがついていたりします(爆)


基本すべて実名で
ある意味暴露本になるかもしれませんが
その時佐佐木はもうこの世にいないので
そんなこと知ったこっちゃ無い訳であります(大爆笑)

たぶん、佐佐木のウィキペディア
その時には大変な騒ぎとなるかもしれませんね。





信長公はどんな思いで
本能寺に散ったのか・・・

なんとなく今回の誕生日は
そんなことに思いを巡らせたりします。


やはり、日本人男性にとって
信長公の享年49歳というのは
一つの分水嶺なのかもしれません。



今、こうしてツラツラと
ブログの文章を書いていて思うのは

漫画界、出版界もそうなのですが
デジタルの波は本当に確実に
世界を変えたという事。




世界中の人が
自分発信で様々な情報を自由に表現できる今こそ

楠正成公の言った
「命惜しむな、名こそ惜しめ」という
言葉の意味が大きくなってきた気がします。



世の中には
確かに悪い奴が存在します。

その反面善い人たちも確実に存在する。



しかし、善い人たちは悪人達に食い物にされても
日本の法律上、泣き寝入りさせられるケースが
ほとんどだと思います。







ですが、予言します。


今後、こういった悪人たちの所業は
遺言書とともにブログやSNSを通して
その事件の証拠とともに実名で公開されていくことに
なるでしょう。


事の善悪はその時々の歴史が
決めればいいのです。



今はまだ、高齢の方の
デジタル参加率は低いかもしれませんが
今後は確実に上がってくる。


そうなれば、早ければあと10年後くらいから
先にいったような流れやブームが来る気がします。

デジタルの蔓延は
そういった小悪人達の悪さを
減らす一つの抑止力になるとしたら
良い事なのかもしれない。

だって、下手をしたら近い未来には
本人のみではなく、その家族や子孫にまで
影響を及ぼすかもしれない一大暴露大会が
待ってるかもしれないんですから。



まさにデジタルが呼び込んだ
「命惜しむな、名こそ惜しめ」という
時代の到来こそ、

今なお、まだ続く
オレオレ詐欺に代表される詐欺事件や、
暴力、脅し、強迫だのと
己の金銭欲と利己欲に取りつかれた
悲しい小悪人達を
減らしてくれる一つの好機なのかもしれない。




なんとなく
信長公を偲びつつ
49回目の誕生日を迎えた昼下がりの
記事でした。





佐佐木以外の今日が
誕生日の皆々様へ。

Happy Birthday!!


タグ : 佐佐木あつし AtoC 誕生日

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なにやらタイトルが
重々しくなりましたな(笑)




これはあくまでも、
「佐佐木あつし」という
一作家としての個人的考えです。


ここでは基本として従来語られてきた
ネットコミュニケーションの基礎的エチケットを
あえて述べようと言うものではありません^^


ブログをはじめとする
ネットコミュニケーションは
御存じのとおり、パソコンに向かっての作業の向こうに
大勢の方々がいらっしゃいます。


老若男女問わず、左右の思想、様々なイデオロギー
基礎的文化の違いに年齢的な読解力の相違、または
まったく新しい発想の持ち主も
中には大勢いらっしゃるでしょう。


そこへの書き込みは
個人的に送るメールとは違い
ブログ記事やそのコメントそのものが
先に言ったような様々な方々に
公の場で読まれるもので、


それを踏まえて
いろんな人々がそれぞれの立場や意見を持って
書き込まれていく訳です。



佐佐木的には一作家として
そういった全ての思想、考えを基本的に
一切否定しません。


その上で佐佐木自身が感じ、良しと思う事柄や想いを
物語や絵として様々な媒体で表現してる訳です。


なぜなら、佐佐木的には
絶対正義や絶対論理、または絶対常識などは
まだ存在しないと感じてるからです。


一山越えて県が変わっただけで
食文化や風習の常識が変わると言って
テレビ番組になるくらいですから
それは現実なのだけど(笑)
 

生意気な発言ですが
一般常識と呼ばれてるモノが
不変ではないという事を
きちんと認識してる方が
まだ少ないような気がします。


どこまで行っても、
自分のまわりの環境や
自分が感じてる常識こそが
本流であり、それ以外は

「常識的に考えてもおかしい」

的な発想です。


そこはやはり
「島国」としての歴史なのか
国際交流の出遅れ的
歴史背景なのかは分かりませんが



繰り返しますが、
未だに人類は
絶対正義というものも
まだ実現してませんし
絶対価値なるものも
また同じだと思います。



そうした中、
現在こうして様々な立ち位置、
思想、考えをお持ちの方と
相互コミュニケーションをとっていける
時代へと突入した訳ですが、

それぞれの立ち位置としては
混然一体化してるのが現状です。


つまり、
自分自身の名前や所在を
明確にして発言してる方
そうではない方
の立ち位置です。




間違えないでいただきたいのは、
佐佐木が決して、
ハンドルネームでの発言を
否定してる訳では無いという事です。


ハンドルネームだろうが
ペンネームだろうが実名だろうが
それぞれの意見や考えは
様々な意見の一つであり大切な言葉と言う事に
変わりはなく、

それぞれの言葉の重みはそれぞれの表現の中に
しっかり内包されているという事にも全く変わりありません。



しかし、穿った見方をすれば
記述者が公になっていないという立ち位置は
極端な話、その記述者が本当は自分自身も
普段思ってもいない無責任な発言をしても、
それがまかり通ってしまう。

そう言った、ある意味、
特権的立場にあると言う現実もあります。



今でも問題になってる 子供たちの
ネット上のいじめ問題などもそうですね。

誰かわからない不特定多数の人達からの
誹謗中傷は時に人を死に追い詰めたりもします。



逆に名前を公にしてる方の言葉は
そう言った無責任な発言が出来ると言った
特権もない代わりに
その言葉には責任を負うと同時に
一般的一意見と言う立場ではなく
その言葉には、それなりの影響力を持ちます。


それによって利益の発生やその他のメリットもあるでしょうし、
逆に自分の発した言葉による社会制裁もあり得ます。



何かを誰かに伝え、
それが不特定多数の方にも伝わると言う事は
本当に怖い事なのです。


生意気ですが
我々、名前を公にしている職業の一つである
作家や漫画家はそれらを
仕事を通じて 日常的に知ってます。


先に書いたような
ネット上における
苛めの書き込みで
自分自身の名前を公にし、
きっちりと自分の言葉の責任をとり、
社会的制裁を受ける覚悟のある
発言がどれくらいあるのでしょうか?


名前を出す出さないの
立ち位置の違いは
そう言った責任の所存と覚悟を
明らかにするのは事実です。


しかし半面、
ご自分達が置かれてる社会的な状況から
あえて、名前を公表せずとも、
その上で素晴らしいご意見を
お持ちの上、表現なさっている方も
大勢いらっしゃいます。

それらの方の表現は
名前を公にするとかしないとかの
問題を凌駕し、


あえて言うなら、文体人格
または表現人格とでも言いましょうか、

文章や言葉そのものに
その方の人格が にじみ出る、
素晴らしい表現やご意見がたくさんあるからです。


現に、佐佐木が
リンクを貼らせて頂いてる方や
ちょこちょこ訪問させていただいてる方、
ブロ友の方はすべて素晴らしい
表現者の方ばかりです。


つまり、公であろうが無かろうが、
その方の表現そのものが
その方自身の体現である以上。
そこに礼儀が発生し
大切にせねばならないのは
当然の事であり、

昔、生まれた「ネチケット」などと言う言葉も
それを皆が感じていれば
別段生まれなかった言葉なのかもしれません。


くどいようですが
佐佐木は
作家という立場から見て
世界にあるすべての意見を
否定をしません。


しかし、
いわゆる、一般常識と言う
まやかしの殻をベースにしたご意見に関しては
あまり佐佐木的触手が動かないのも本当で

そうした一般常識を大上段に振りかざした意見には
期間限定、地域限定の足枷付きが
一般論と称されるモノの正体だと佐佐木が感じてる以上、

佐佐木の表現には、それをベースにした考えが
少ないのも事実であり、

その上で皆様が
佐佐木の表現するモノに
共感して頂ければ作家としては
本望であるし、

また、
逆にそれらを大勢の方から否定され、
漫画の人気が下がったり、
本が売れなくなったり仕事がなくなっても
仕方がない事と思いますし、

また、その覚悟も出来てます。




余談ですが
先日、仕事で
韓国の方とフィリピンの方と佐佐木の3人で
仕事の話をする機会がありました。
(全員男性)

韓国の方は
「礼節」と「年功序列」を重んじられる方で
かたや、フィリピンの方は世界一と言われる
「ホスピタリティー」を持つお国柄。
で、佐佐木は日本人らしく
「和」の文化が細胞レベルで根付いてる。
 
待ち合わせの時間感覚にしても
三者三様・・
ファーストインプレッションの表現方法から
その後のコミュニケーション方法も
当然お国柄が出る訳です。



こういった環境で仕事を進めてると
こっちの一般常識などは何の役にも立たないどころか
邪魔ですらある事があります。


こうして、異文化交流、
異業種交流に関しては特に
新たな相互コミュニケーションの
スタイル構築が必要になるわけで、

そこで初めに必要とされるのが
「礼儀」「礼節」の情報交換であり、


そして、これらこそが
ネット上で展開される
コミュニケーションにも当てはまる
大事な事なのではないかと考える訳です。


先にも書いたとおり
名前を公にしてる方は
その立ち位置から自然発生的に
出来る礼儀・礼節の構築も

逆の立場で
実生活では普通に礼儀・礼節を知ってる方でも

事、名前を伏せているネット上では
ある程度、意識的にそれをしないと
うっかりとおかしな誤解を生む事も、
儘、ある気がします。



何か踏み込んだ
独自の意見を展開する時は
特にそうかも知れませんね。


むかし、ネットなのない時代、
何らかの表現が出来るのは
それこそ、政治家をはじめ、
作家や記者、クリエーターなどの
限られた人間しか出来ない事でした、

しかし、時代が進み、
ネット環境のある人なら
誰でも自分の意見を公表できる
社会になった今だからこそ、

あらためて自分の表現、言葉に
潜在的にキチンとした責任を持たねばならない
時代になったともいえるでしょう。




そう言った意味では
佐佐木自身もいろんな反省があり、
それを糧にして
これからも表現をしていきたいと思います。








以上
佐佐木流ネットコミュニケーションの一考でした。



誤謬のないように
書いたつもりですが

不適切な表現や
御不快に思われる事がありましたら
お許し下さいね(≧∇≦)b





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思考し続ける・






どうもそれが日常的なスタイルになってる気がする。



基本ずーっとネタを考えているし、
同時にいくつもの考えがあふれだしたお風呂のように
脳内を満たしていく・・



それは、寝ている時も同じで
寝ながらストーリィーを作ってたりするから
脳みそが休まる時が無い。







そうなるとどうなるかというと

脳みそが栄養不足になる。



脳みそがお腹が空いたとブーイングを
おこすのだ。





脳みそのご飯は
本であったり、テレビであったり、なんでもいいのだが
ともかく知識を欲しがる。



しかし、

このタイミングやなんというか、スイッチが
うまく作動しない時なんかに
眠たいのに脳が勝手に暴走を始める事がある。



思考の渦がとめど尽きることなく
えんえんと続く。




エヴァンゲリオンのように5分とかで
活動限界が来ればいいのだが
そうはいかない。




下手すると徹夜でなんやかんやと考えてしまう。
もはや、妄想狂のレベルで自分が怖くなる。







という訳で編み出した
思考の強制終了法




つまり睡眠法を自分なりに開発した。





思考が止まらなくなった時
どうも、ここら辺で脳みそが
考えてるなという部位がある。



まず、そこを外す。








意識するのは額の中心部。
いわゆる、第3の目と言われる場所だ。






ここに神経を集中させる。






目を閉じて、視線の先を
ここに集めるのだ。




すると・・・









と・・こんな風にぐっすり眠れる。











脳みそにはスイッチがあったんだね(笑)




タグ : 睡眠法 脳みそ

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